どうも皆さんお久しぶりです、20日のアドカレはお読みいただけましたか?どうでしょうか、読みやすかったでしょうか。何しろ明確に誰かに読んでもらうための記事は人生初だったので、内容は理解できるか、その上で読みやすいかなど、とても心配です。さて今回は、私がプログラミングに初めて触れたときから現在までを、時系列順に追っていこうと思います。私が就活をする時、エージェントの方すらも「Oh...」と言わしめた私のプログラミング歴を20日の記事であるパソコンの時系列(以下、20の記事と記載します。)などを踏まえて、前回同様時系列順に追っていこうと思います。ここでアドカレの投稿が遅くなってしまったこと、また後半がずさんになっていることを謝罪いたします。
目次
1.小中学校時代
2.高校時代
3.大学時代
4.現在時代
5.おわりに
1. 小中学校時代
私は生まれてから今まで、かなり親からの寵愛を受けて育ったと思います。それ故、自分の性格もその要因には含まれるとは思いますが、自分で考えることをしない、常に受動的なクソガキでした(今も受動的ですが)。そのせいで友達は片手で数えられるほどしかおらず、ほぼ常にひとりでした。
そんな私の数少ない友達に、ドムさんという友達がいました。彼は親のパソコンを譲ってもらって様々なことをするという、小学校高学年という若さにしてアンダーグラウンドに住まう人でした。あれは小学五年生だったでしょうか、そんな数少ない友達であるドムさんが家に招待してくれて、プログラミングをする姿を見せてもらいました。その内容というのが、何かしらの言語でexeゲーム(ホラーのためニコニコ大辞典のURLを貼ります)を模倣する試みをしているところでした。確か言語はVBScriptだったかJavascriptだったか、詳しくは覚えていませんが多分VBScriptだったと思います。その中で印象に残っているのが、プログラミングして実行すると、ディスクドライブが開いた瞬間で、その時の私は英語力が皆無だったために「意味わからん文字列でシステム動いてんのすっごいなぁ」と呆然としか思っていませんでしたが、それから何回か彼の家にお邪魔するたびに、自分もやってみたいと思うようになりました。ただそのときは思うだけで、英語の文字列、つまり自分とあまり馴染みのない言語が出てくるため、そのときは本気でやってみようとは思いませんでした。また20日の記事にも書いた通り、父が家にいるときは町内会や会社の用でパソコンを使い、もし学校が終わって自分が早く帰ってきても母親がパソコンを占領していたので、とても「貸して、プログラミングやってみたい」とは言い出せない雰囲気を漂わせていたというのも、本気でやってみたいと思わなかった理由の一つでもあります。まあどちらにしろ私の家系でプログラマが居なかったので、「プログラミングをやってみたい」と言った途端に拒否されて居たと思います。
中学に入り、自分が受験して私立に進学したので、ドムさんとは別々になりました。なので、「まだプログラミングはやっている」という情報だけで、何をやっているのかはしりませんでした。学校が別々になったことで、私のプログラミングへの興味は一旦消え失せます。ただパソコンは使っており、それでY◯uTubeなどを見たり動画編集をしていました。その結果、一つの動画にたどり着きます。
2. 高校時代
その動画というのが、マインクラフトのリアルトレインMod、通称RTMについて制作者本人が解説している動画で、そこで初めて「Modは頑張れば自分で作ることができる」と気づき、ここで初めてパソコンを買おうと思いました。そして高校生になり、夏休み中にパソコンを買い、それから本格的にプログラミングや動画編集などを始めました。Xを遡れば、その時の私の気が狂ったツイートを見ることができるかもしれません。
その時の私のプログラミングは、ほぼ全てネットに転がっているコードを切り貼りしただけ、またその中身の数値を変更しただけのもので、構造を理解しようとする気はさらさらなく、「基本構造はわからないけど、とりあえずこれをコピペすれば動くんだな」の精神で、書くべきモノは提供されてるんだから、せめて何かしら自分でできるところは頑張って自分でしようと、ソースコードを見ながら手打ちしていました。またどのサイトを見てもわからない部分があると、英語で配信されているModづくりのチュートリアルを見て理解していました。この頃はプログラミングの入門書を買わずに雰囲気でやっていたので、連番のメソッドが出てきたときは、中身を見ずに名前だけを見て「これってどんな働きをするんだ???」と3晩ほど頭上に「?」が浮かんでいました。また、マインクラフトランチャーを立ち上げてから開始までの手順が長いとHotSoupProcesserでマウスカーソルを自動移動・クリックするアプリケーションを作ったり、マインクラフトの中のComputerCraftというModで電光板を制御しようとLuaをやってみたり、高校の授業でJavaScriptをやったりと、偏差値の割には様々な言語やっていたと思います。
以上の結果、他に画像編集や動画編集などの要因もあり、勉強せずにパソコンに張り付きすぎという理由でパソコンを1ヶ月以上禁止されました。熱しやすく冷めやすい私の性格上、この期間で当時のプログラミングの興味は失せてしまい、パソコンが解禁されて以降もModを作ったりプログラミングをすることはなく、ずっと動画や画像の編集をしていました。
3.大学時代
大学時代の初期の方は受験に失敗したダメージが大きく、常に虚無でした。その時にしていた言語は1年秋学期にCを少しやった程度で、本格的に何かをすることはありませんでした。大学に入学してから再びプログラミングに興味を示したのが大学3年の初冬でした。インターンより自分が留年するかもしれないという絶望感のほうが強く、虚無の日々を過ごしていました。今回やろうと思ったきっかけはなく、ただなんとなく「そういえばあれからプログラミングやってないな、やってみるか」と決め、前章のメソッドの件もあり、最初からやろう、もし長続きしなかったらそこまでだと、高校時代にやっていたJavaの勉強を始めました。すると、そのようなポテンシャルが私に備わっていたのか、あれよあれよと興味が湧き、気づけば授業中も3~400ページあるJavaの入門書を見るほどでした。そして今年の2月に就活の情報解禁が始まったと同時に就活を始めました。その時にVBAで就活の予定管理のコーディングをして、それを駆使して就活に臨んでいました。その後、4月にみすてむずに入り、IT系の企業に入りたいと思うようになりました。(これ以降の就活の話題は精神的にきついので割愛)
そしてJavaに慣れてきた頃、前年次のときの授業から一つのことが気になり、万葉集について卒論を書きたいと思うようになりました。しかし、ネットの検索機能では自分が欲している用例を見つけることができないと判明しました。流石に万葉集約4500首を手動で、なおかつ用例を漏らすことなく探すというのは無理な話なので、ならばそれを検索できるツールを自分で作ろうと決心しました。そして就活しつつJava入門書とにらめっこして3ヶ月、ついに検索機構が完成しました。その時代の書物と言うと万葉仮名、そして研究者によって訓が違うため精度はあまり良くありませんでしたが、用例を抜き出すという点では十分な性能を持っていました。現在では、それを改良して語の検索機能も追加、将来的には研究者ごとに違う訓を照会する機能やGUIもあったらいいなと思い、現在奮闘中です。また、約半年前にやっていたMisskeyのインスタンス立ても再開できたらいいなと思います。
5.おわりに
さて、私がこれまでやってきたプログラミングの歴史について見てきましたがいかがだったでしょうか。わたしのプログラミング歴をまとめると、
・小学校終盤で始めて触れる(その時はあまり意識していない)
・高校1年で初めてプログラミングをする(コピペなのであんまり成長を感じられない)
・大学後半に久々に始めて没頭する(就活に使うには始める時期が遅い)
という感じです。プログラミングというよりかはコーディングのほうが近いと思いますが、それでも楽しかったことは確かです。これからトラウマになるレベルの出来事が起こらない限り、コーディングは続けていこうと思います。そんな私を、今後ともどうかよろしくお願いいたします。後もう1時間もありませんが、明日はシアン化リチウムさんです、乞うご期待!!
・小学校終盤で始めて触れる(その時はあまり意識していない)
・高校1年で初めてプログラミングをする(コピペなのであんまり成長を感じられない)
・大学後半に久々に始めて没頭する(就活に使うには始める時期が遅い)
という感じです。プログラミングというよりかはコーディングのほうが近いと思いますが、それでも楽しかったことは確かです。これからトラウマになるレベルの出来事が起こらない限り、コーディングは続けていこうと思います。そんな私を、今後ともどうかよろしくお願いいたします。後もう1時間もありませんが、明日はシアン化リチウムさんです、乞うご期待!!
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